今は昔の20年前、八王子でバイク屋に入り浸りの貧乏学生でした。
その頃からバイク屋さんやモトクロス場などで貰ったステッカーを何の気なしに集めてしまいまして今に至ってます。 全部広げると床いっぱいになってしまいます。語り始めたら電池が切れるまで終わらないので、一部をご紹介。 一番上の左から、日本で唯一、モトクロスで世界チャンピオンになった渡辺 明氏。向こうは私のことをまったく知りませんが、私のモトクロスの師匠です。 当時、アプリリアはまだイタリアの新興メーカーで、鈴木秀明氏の弟、鈴木都良夫氏がワークスライダーでした。 真ん中はTZ350プライベーターで世界チャンピオンを取った片山 敬済氏。因みにそのときに片山氏と一緒に世界を渡り歩いたメカニックがチャンバーで有名な柳沢「ユーゾー」氏です。チャンピオン取った次の年にホンダへ移籍。後にNRなどを走らせてます。オフロードバイクベースのCB250RSという4サイクル単気筒も当時は立派なスーパースポーツバイク。 一番右の吉村太一氏は、そうです、RSタイチの社長です。ホンダのワークスライダーだったのです。当時はパドックの前をうろうろしてると本人から直接もらえたりしました。 下の左はイベントで貰ったものだと思いますが、フロントサスにご注目。ダブルプロリンクと言います。どんどんストロークが伸びていくサスペンションのノーズダイブを抑えようとした試みです。ロードレースから来た考え方です。ワークスの数台だけで終わりました。 真ん中は見ての通りのボルドール24時間耐久レースを戦ったRCB。当時は耐久レースも世界選手権のシリーズで行われていました。RCBのイメージで市販化されたのがCB750Fです。大ヒットでした。 右は知らない人も多いでしょう。アメリカンスーパークロスの大スター、ボブハナ。ケニーロバーツに並ぶアメリカレース界のヒーローです。この頃からモトクロスは三連、テーブルトップといった高く飛ぶジャンプ台を含む、アメリカンスタイル主流に変わる大きな変革期でした。並んでジャンプを飛んだ隣のライダーを空中で蹴落とすという暴れん坊ぶりが大人気の人でした。 クラッシュで顎を骨折。BELLに特注したのが、今では当たり前になった、モトクロス用フルフェイスの元祖、「MOTOⅢ」の始まりです。
by ori2yellow
| 2005-02-19 00:00
| バイク
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