名を残す
天正十年六月、京都本能寺で織田信長が明智光秀に討たれます。日本史上最も有名なクーデター「本能寺の変」。この時、徳川家康は京の信長に会うために堺で待機。供のものも武装していない数十名だったと言われてます。

信長が倒れたことにより敵陣の真っ只中に孤立する形となった家康は生涯最大の危機を迎えたのでした。

ただ、この場合、危機であると同時に格好の好機でもあるのです。ここで敵討ちと称して明智を倒せば自分が天下を取れるからです。結果として、中国高松城を水攻めしていた秀吉の「大返し」に先を越されてしまうかたちとなってしまいましたが、競争の中で考えることは他の武将たちも同じだったと想像できます。

さて、家康御一行様、急いで地元三河まで戻ろうとするも、一般的なルートは明智軍の追っ手がすでに包囲。間道である伊賀を通ることに。しかしここも、反織田勢力の野武士集団や土民がいつ襲ってくるか分からない土地。

そこで、活躍したのが伊賀の武将服部半蔵です。そう、忍者ハットリ君。半蔵の根回しにより家康一行は、伊賀や今の鈴鹿サーキットの近くを通過し、無事に伊勢湾まで出て、そこから船で三河へ渡ったと言われてます。
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これが世に言う「神君伊賀越え」です。半蔵はそのときの功績により、家康に認められ、徳川家の警備を担当。江戸城の門に名前がのこるほどの大身旗本となったのでゴザル、ニンニン!!
by ori2yellow | 2008-02-24 00:00 | ご近所の話題


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